Records Of My Driving License


2004年9月19日 教習所へ入所。

本日、教習所へ入所した。 今年の夏休みに地元でと思っていたのだが、ゼミの都合で実家滞在可能期間が2週間。 結局、大学のあるこちらへ戻ってきてから取る事にした。 ゆっくりと通い、今年の冬休みの実家帰省時に本免試験を受ける予定。 住民票はこちら(大学ある県)に移していないので、本免試験はこちらでは受験できない。

教習料金は25万円程。 これでも大学割引等でプライスダウンしたのだがやはり高い・・・。30回ローンをお願いした。 やはり時間に余裕がある大学生の間にとっておきたい。

入所式は所長の挨拶や説明、学科教習1時限などが行われた。 入所した教習所は担当教官制で私の担当はU指導員。女性の教官だった。 縦横に大柄で、年齢は30代位と思う。とてもはきはきして優しそうな方だった。 最初の技能教習の予定を立てる。教官の予定が詰まっており初技能は約2週間後になった。 出来るだけ第1段階の学科を履修しておくように言われた。

2004年10月2日 初の技能教習。

初めて運転。マニュアル車の洗礼を受けた・・・。 半クラッチがなかなか習得できず発進から大苦戦。 何回エンストしたことだろう。 こんなに車の運転が難しいとは思わなかった。 この先の不安と恐怖を覚えた。

大体クラッチの存在は免許を取ろうと思って初めて知った。マニュアル車はギアをがちゃがちゃ変える以外、オートマと同じ、つまりアクセルさえ踏めば進むはずだと思っていた。絶対ギアチェンジはしたいからマニュアルを選んだのだ。頑張ろう。

2004年10月23日 無線教習。

無線教習とは、教官は乗らず、備え付けの無線で指示を受けながら単独で1時間走行する。教官が助手席にいないのは不安に感じられるが、無線教習を行う頃にはそこそこ慣れているはずなので、怖さとわくわくが同居する。事実、私もやっとクラッチ操作に慣れてきていた頃で、事故もおこさず、楽しく走行できた。マニュアル車では半クラッチを習得出来ない限り運転できない。アクセルを踏み、クラッチは半分だけつなげる。鈍い私の両足はかなり苦労した。なかなかのながら族だと思っていたが、実は単細胞であったようだ。マニュアル車の運転はもう無理とさえ思ったこともあったが何度も練習するもので、そこそスムーズな運転が出来るようになっていた。同時に運転の楽しさを感じ取る事が出来るようになってきた。車を買う際は、マニュアル車にしたいとさえ思えてきた。。

2004年10月31日 修了検定

この日がついに来た。この修了検定に合格すれば仮免取得で路上教習に進める。 結論から言うと落ちてしまった・・・。 往生際が悪いが言い訳したい。とても緊張して・・・。 もう1つ。練習では問題なかったのに・・・。

緊張に弱い私は、この日は勿論、すでに前日からどきどきだった。 緊張に身体が震えながらも準備を整えた。エンジン始動。ウィンカーを出し、ギアをローに、ハンドブレーキをおろし、さあ発進である。すると左足ががくがくと震えだす。冷や汗が吹き出てきた。クラッチの制御不能な状態に陥ってしまった。。より緊張に拍車がかかりやばいと思いつつも、ぎりぎりエンストはせずに発進。最初の難関クランク。まだがくがく震える左足。断続クラッチで低速の状態で進むのだが、自分の意志で断続してるのか震えで足が動いているのかわけが分らない。 泣いてしまいそうだ。頭は真っ白。冷や汗たらリ。進むことだけ考えた。 車が今にもエンストしそうな悲しい音を立てる。 その後、2〜30秒運転したところで、
もう点数がなくなったので、検定中止です。
と教官の鶴の一声が響いた。

脱輪、逆走、接触など大きなへまはやらなかったが、ただまったく不安定な走りだった。 このまままともに走行できるとは思わないが、そんなに点数引かれる物なのか。 あまりの緊張で、ミスした事すら忘れてしまったのだろうか。検定員の教官からは、
「練習を思い出しておくように。しっかり走行しなきゃ。補修の予約を取って帰っていいです。」
と今一、何処が駄目か要領を得ないアドバイスを貰った。 担当教官と補修の予約を取って失意にうちに帰宅した。 その後、どん底の日々を過ごすことになる。

2004年11月7日 2回目の修了検定

本日、2回目の修了検定。 それでは結論から。落ちた・・・。 言い訳し・・・・・出来ない。以前ほど緊張はしなかった。走りもそこそこ安定して出来ていたと思う。しかしクランクで、普段はすることのない脱輪。切返しの指示を受ける。そしてバックしすぎて後ろが脱輪。終わった・・・・・・・・・・・。終わりを告げる教官の顔が同情にあふれていた。
「練習じゃあんなに上手いのに。」
とU教官。

2004年11月10日 3回目の修了検定

本日、3回目の修了検定。 結r(ry)・・・・・また落ちた。 坂道発進で、どこまでもエンストし続ける。発進不能。やはり足のがくがく病が再発した。

実は今日は授業サボってまで来た。 練習では出来るのに・・・・・。本当に。

2004年11月14日 4回目の修了検定

本日、4回目の修了検定。やっと受かった・・・・・。 特にミスは無くすべてのコースを走行できた。恥ずかしながら4回目のベテランだけあって、本番前の説明なんか、とっくに消化済みで、代わりに暗誦で説明できる程である。教官から“ぶるぶる病”と名付けられた足が震える緊張は無く、寧ろ吹っ切れた自分がいた。

前日の教習は教官と“どうすれば緊張しないか”について雑談(結構真剣)中心の練習だったりした。しかし結局最後まで、結論は出なかった。もはや落ちるところまで落ちたので、「貯金が続く限り、受け続けて、とことんまで笑い者になってやろう。」と開き直る事を自分の結論とした。功を奏したようだ。実技試験ばかりに気をとられ、疎かになっていた学科試験はぎりぎりで突破。原付講習と2段階学科を1時限受けて帰宅した。

2004年11月21日 初の路上運転。

今日、初めて路上で運転。 一層、運転の楽しさを感じる。 あれだけ悩まされたマニュアル車。 車買うときは、マニュアルにしたいとの思いがいっそう強くなった。

しかし周りの車は結構速い。規制速度40キロの道路で周りの 流れにあわせてアクセル踏んだら、70キロ近くにまで達し、教官からあわてて注意された。 場内で35キロが速いと感じてたのが嘘のようで、40キロが非常に遅い。

2004年12月11日 高速道路教習

本日は、オートマ車に乗って高速道路を走行。この教習は、複数の教習生で行う複数教習である。男性は私含めて2人、女性1人。じゃんけんで走行順番を決める。高速道路までは女性が前半部分、男性が後半部分運転し男性はそのまま高速走行。その後女性が高速走行。最後に私が運転して、教習所までも引き続き私が運転する事になった。

高速道路では時速80キロで走行したのだが周りがもっとスピード出しているため遅く感じた。しかしスピードメータを見ないで、気づかないうちに時速100キロまで上げたときは、さすがに少し違和感があり、ハンドルの制御が効きにくい印象を受けた。時速80キロと100キロは、結構違った。ただ高速道路の方が楽だった。ハンドル操作がほとんど無いので、一般道の交差点とかの走行の方が難しい。帰りの教習所までの道時速40キロメートルの走行はすごいノロノロと感じた。面白い。

2004年12月13日 方向転換、縦列駐車

今日は2時間連続して教習だった。2時間目は場内で方向転換(車庫入れ)と縦列駐車の練習を行った。担当の教官でなく別の教官との教習になった。

その教官、まだ指導員になって間もないらしく、指導振りがぎこちなかった。綺麗な方なのだが、常に眉間にしわが寄っている。他の教官は教習中にさまざまなトークやネタ振りをして下さるのだが、その方はぎこちない指示だけで、淡白に縦列、方向転換のコツを示してくれた。教習内容の縦列、方向転換はそこそこうまくいったと思う。

卒業検定は、路上検定と場内検定がある。路上検定は教官の支持の元、決められたコースを走行した後、定められたゴール地点まで自分で道順を決めて走る。その後の場内検定は縦列駐車か方向転換のどちらか一方で、当日になるまで分からない。どちらかというと縦列駐車であって欲しい。

2004年12月20日 見極め

今日は、2時間の技能教習を受けた。2時間目がいわゆる見極めで卒検受けるレベルに達しているかの判断が下されることになる。1時間目はたっぷり路上で走り、複数定められているゴール地点を確認した。このゴール地点も当日までわからない。

2時間目は半分路上で走り、半分は場内で方向転換と縦列駐車の練習を行った。見極めは良好を頂き明日、晴れて卒検を受けることが出来る事になった。

2004年12月21日 卒業検定

今日はとうとう卒業検定。合格すれば教習所とはサヨナラ。朝1番の送迎バスで教習所へ向かい、受付で9900円を支払う。その後検定の説明を受ける。卒業検定は検定員の指示の元で走行する一般課題と決めれたスタート地点からゴール地点まで自分で経路を設計する特別課題、場内での縦列駐車か方向転換の3種類。

私の先日の願いが通じたのか、私の場内課題は縦列駐車。順番は2番目。私の組は私含めて男性2名、女性1名の3名だった。

まずは最初の方の後ろに乗った。最初の方は、スムーズにすべてをこなしていた。合格だろう。次はいよいよ私の番。大げさに車の前方、後方を確認して乗車して一般課題のコースをスタート。いつも乗っている車の教習車と半クラッチのポイント、アクセルの踏み感覚が異なり運転しにくい。大きなミスは無いと思うが交差点で右折の際、直進、左折車が通過するのをかなり慎重に待っていた。ある所で検定員が、
「よし、ここで行きましょう。」
と。それは私の判断する所ではなかろうか。ともかく、決められた場所で停止し一般課題が終了。

その後教官が特別課題のスタート地点まで運転する。スタート地点に来ると、ゴール地点までの自分で設計した経路を検定員に示しスタート。先日練習した道だったので大丈夫。ゆるい坂道での信号停車でも念には念を入れてサイドブレーキ使った。無事にゴール地点の停車位置で停車し、また教官が場内まで運転。路上検定を一通り走りきれて少し安心して、胸をなでおろした。

その後、場内検定へと移り縦列駐車。縦列は得意なので無事ポール内に車を止める。後は出るだけだ・・・と思ったら持病のぶるぶる病が、ここにきて発作を起こす。仮免時と同じ状態である。もう最後まで来て失敗は出来ないというのがプレッシャーになってしまった。エンスト寸前、車がガクガク。やばいと思ったらとりあえずクラッチを踏む。頭が真っ白になり何をやっているのか分らない。しかしパニックになりながら何とか終了。検定員から、
「巻き込み確認をしっかり、あと断続クラッチのときアクセル踏みすぎ。では、お疲れ様でした。休憩していてください。」
と言われる。私は、震える声と足で
「有難うございました。」
そして次の方が乗り込んで、走り去っていった。地に足が着かない感じ。ふらふらしながらホールへ戻り休憩。

しばらくたって合格発表が始まる。私の受験番号は8番。合格。素直に嬉しい。これは担当教官U指導員のおかげだと思う。いつも明るく、丁寧な指導をして下さった。全然嫌味なところも無く、的確で、はっきりとしたアドバイス。教習所の嫌な教官の話は聞くが、私は運良く素晴らしい教官に当った。U指導員は女性であったので、切れたり、怒鳴ったり、意味不明な事を言ってきたりする事は全然無く、良い所を褒め、悪いところをはっきりと丁寧にアドバイスして下さった。感謝してもしきれない。私は仮免で落ちまくって迷惑も人一倍かけてしまった。しかも落ちたら、補修のために教習券を買わなければならない(補修料金になる。)のだが、こっそり2枚ほど用意してくれたりした。本当に申し訳ない。

しかし、この晴れの卒業の日。担当のU先生は休みの日だった。今日、会って感謝の気持ちを伝えたかった。昨日の教習も普通に「有難うございました。」としかいえなかった。免許を取ったら手紙でも書こう。

ちなみに本日の受験者に対する合格者の割合は14/22。今日は落ちる人が多かったらしい。その後合格者そろって卒業式。所長さんから、交通事故の注意やおめでとうの言葉をいただき、本免試験の説明などが終わると、卒業証書を一人一人渡して終了。これで、この教習所ともお別れとなった。後は地元での学科試験のみ。実家には26日に帰る予定にしている。

2000年12月27日 本免学科試験

今日、地元に夜行高速バスで到着した。今年は大学が冬休みに入ってすぐに帰省した。 自動車免許の本免学科試験を受けるためである。

5時50分くらいにバスは終点に到着、そこから車で迎えに来ていた父に家まで送ってもらう。家で朝食を摂り、寝不足のまま免許センターへ。 免許センターはすごい人数だった。年末のこの時期、私のように進学先で自動車学校を卒業し、実家で本免試験を受ける人が多いのではないだろうかと予想。事実300人以上いたらしく、窓口はすごい列となっていた。私は早めに出かけたので順番が早く回ってきたのだが、書類不備のため、また記入後、並び直す事に。うすうす気づいてはいた。何か他の人が持っている書類が私には無い。どうやら地元で自動車学校を卒業すると免許申請書やら、適格調査書みたいなのは前もって準備されているらしい。足らない書類を捜して記入しまた並ぶと、受け付けてもらえたのは最後の方だった。

試験はまあ、大丈夫だろうと思っていても、合格発表のときは緊張した。案外落ちた人も少なくなかった。電光掲示板に自分の番号0317が点灯したときは、やはり嬉しかった。その後視力検査、写真撮影、免許交付・・・と書けば流れるようだが、実際はかなり待たされた。特に写真撮影とその後の免許交付。300人前後の中の合格者200人前後全員いっせいに免許交付なのである。結局8時半に受付開始してすべてが終わっての解散は13時過ぎになった。

実は、交通安全協会の勧誘を少し期待していた。いろいろな所で横柄だ、払わないと急に態度が変わる、払わないと脅迫される・・・などと聞いていたので少し楽しみだったが、写真撮影後の免許交付手数料を払う際に、
「良かったら子どもたちの〜〜〜に役立つ寄付をお願いします。」
「申し訳ありません。結構です。」
「そうですか。」
で終わり。むしろ謙虚な方だったので横着な人よりは払ってしまいそうになる。でも回りは払っている方も多いみたいだ。警察官僚の天下り先であり、その寄付金を飲み会に使ったり、使途を明らかにしない交通安全協会にやはり払う気にはなれない。

解散後、父が迎えに来てくれたが帰り道は私が運転した。横に運転慣れした父がいるおかげで緊張などは余り無い。教習車は少し多めに見てくれる雰囲気があるが、初心者マーク付の車は少しなめられている印象を受けた(被害妄想かもしれないが)。また、法定スピードを遵守しようとしたら、逆に交通の流れを乱すことに気づく。交通に限らずマナーの悪い我が地元・・。何はともあれ、気持ちよかった。運転が趣味になりそう。今の父の車はオートマなのでマニュアル車が懐かしい。

これで私の運転免許取得記録も幕を閉じる。3ヶ月と8日。自慢にならないが、普通自動車運転免許ひとつに他の人よりかなり苦労して取得したと思う。まさか仮免に3回も落ちるなんて聞いた事が無い。飲み会等での話のネタにしかならない。それも一回のみである。何回も無能さを強調しても引いてしまう。

その後

その後、父に助手席に乗ってもらい街で練習走行をした。交通安全の神様のもとへお参りしたり、100kmほどを目途に出かけたり。また母をパート先へ送り迎えしたり。しばらくは父が助手席にいたが、もう一応一人で街へ出かけたりする。帰省中しか運転できないので、街を走る練習の意味でも、私が実家にいる間の母や妹の送り迎えは私の仕事になっている。

しかし、教習所と実際の街中では走り方が異なる点がある。それは、教習中は「キープレフト」の原則だったが、実際に2車線以上ある場合、左車線はバスの停留所や、駐・停車の車が多いため余り走らない。そして街中の走行で一番難しいと感じるのが車線変更だった。教習中は抜かされることはあっても、他車を抜くこともなく余り車線を変更する事は無い。しかし街を走行していると車線変更の機会は結構ある。何度が危ない車線変更を行い、クラクションを鳴らされた事がある。車線変更のコツは、「スピードを落とさない。」事らしい。逆にスピードを上げ入ろうとする車の前の車に接近し、スムーズに入れば良い。しかしこのスムーズがなかなか難しい。街中の走行は慣れも必要だ。初心者のうちは特に、他の車や人の迷惑にならない事を最優先にすべきだと感じる。車線変更も無理やり入って事故るよりは、途切れるまで待つ位の方がいいと思う。

その後 Part2

晴れて、免許取得から一年たった。(平成17年12月27日)。初心者マークは取れても、実家に帰省する時にしか運転する機会が無いので、まだまだ初心者である。この一年の間に体験したトラブルや出来事を列挙。


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